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2015年12月24日 (木)

欧州便り「テロの脅威 肌で感じる」

12月23日付の南日本新聞朝刊に,3回目の「欧州便り」を寄稿させていただきました。今回は,以前ブログ上でもお伝えしたグレー滞在とテロ事件について書きました。

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ブログでも今回の「欧州便り」でも,テロ事件についてどのように書き伝えればよいのか大変悩みました。内容の良し悪しは自分自身では言えませんが,私が見たこと感じたことを素直に書いたつもりです。

記事に添えてある2枚の画像は,過去に掲載したものと同じです。

写真下:グレーの川にかかる古い石橋を描いた水彩画

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写真下:事件現場の前でフランス国旗をまとう男性

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 秋深まる10月下旬,フランスの田舎町グレー・シュル・ロワンに1週間滞在して,その美しい風景を描いた。

 パリから南へ約60㌔,フォンテーヌブローの森の南に位置するこの町は,鹿児島市出身の画家・黒田清輝が訪れて以来,鹿児島との縁が続いている。2001年には町の一角に「黒田清輝通り」が誕生し関係はより密になり,南日本美術展の欧州留学生の多くが一定期間滞在して作品を制作している。
 夏のバカンス客が去って人けの無くなった秋のグレーは,静寂に包まれていた。木々の葉は枯れ,風に吹かれてどんどん落ちていく。森の生命はみんな,長い冬の眠りに静かにつこうとしている。そんな中に一人,白い息を吐き震えながら絵筆を動かしていると,自分もその自然の一部になったような感じを覚えた。来年3月,私が留学を終えて帰国するころ,森は再び芽吹くだろう。
 グレー滞在中は,多くの方にお世話になった。ひとりひとりの顔を思い浮かべるだけで幸せな気持ちになる。ろくにフランス語を話せない私に,みんな優しく笑顔で話しかけてくれた。美しい風景だけでなく,そこに暮らす人々もまた,グレーの魅力である。生き馬の目を抜くような,どこか息をつくことのできないパリの暮らしを少しの間離れたことで,再び喧騒の中を歩く活力が出た。
 そんなグレーでの日々の余韻残る11月13日夜,パリ市内で同時多発テロ事件が発生した。余韻は吹き飛び,混迷を深める世界情勢の真っただ中に置かれている現実を肌で感じた。事件以降,カフェでゆっくりエスプレッソを味わう余裕は無くなり,パトカーのサイレンには過敏に反応するようになってしまった。
 事件発生から2週間たって,私は初めて現場を歩いた。黙とうをするなど犠牲者に対し私なりの哀悼の意を表してきたが,直接事件の現場に行くことにはためらいを感じていた。私の中で犠牲者を悼む気持ちよりも,まだ好奇心の方が大きい気がしていたからだ。
 しかし,日がたつにつれ「自分の目で見ておかなくてはならない」という思いが強くなった。ある友人からの「現場に行くことはそこに暮らす人の責任であり,権利ではないか」「悲しい出来事だが,歴史の証人として,見て伝えてほしい」という言葉も私の背中を押した。
 事件現場では手を合わせることしかできなかったが,行ってよかったと今は思っている。
 (第69回南日本美術展第20回吉井賞受賞者)

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