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2015年12月23日 (水)

若き薩摩の群像(23)人物編⑪長沢鼎「本籍・生い立ちの地」

 長沢鼎については,昨年10/26付けで誕生地の記念碑,4/26付けで若き薩摩の群像の11人目として取り上げており,今日で3回目です。
  今年の11月に,甲突川の河岸の「本籍・生い立ちの地」に記念碑が立てられたと聞きましたので行ってきました。

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 石碑の表の説明板には次のように書かれています。
 長澤鼎(本名 磯永彦輔)は1852年,嘉永5年に鹿児島城下に生まれる。下荒田のこの地で多感な少年時代を送り,郷中教育や示顕流を学び,薩摩武士道を身に付ける。 開成所洋学校時代の1865年(慶応元)薩摩藩英国留学生15人のなかに最年少の13歳で選ばれ渡英,スコットランドに一人送られるがアバディーンの中学校に在籍して優秀な成績をおさめる。
  1867年(慶応3)15歳でアメリカ・ニューヨーク州に渡り,さらにカリフォルニア州サンタローザに移住してこの地に永住。苦労を重ねながらワインの醸造所とブドウ園の経営に尽力して偉大な功績を残し,後世まで「ブドウ王」「ワイン王」としてその名を語り継がれる。
 1910年(明治43)本人の強い希望で,この地荒田町(後の下荒田町)53番地に新戸籍を創設,ここを終生の故郷とさだめる。
 1934年(昭和9),日本人初のアメリカ移民として日米の強い絆を結んだ長澤鼎は,カリフォルニア州サンタローザの地で82年におよぶ波乱の生涯を閉じる。今,鹿児島の興国寺墓地で静かに眠る。
                                                           鹿児島サンタローザ友好協会
                                                                       会長 森 孝晴 記

右側の写真は渡英した13歳当時ロンドンで撮影されたもののようです。

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石碑の裏面には
2015年(平成27)11月1日 長澤鼎英国留学150年を記念して建立する  とあります。

長澤の誕生地は,甲南高校の正面道路の向かい側を少し入った共研幼稚園の隣に記念碑が建っていますが,この生い立ちの碑はその後引っ越して少年時代を過ごし,アメリカに移住した後,だいぶ立ってから本籍地になった場所ということのようです。
興国寺墓地は鹿児島市冷水町にあって,薩摩藩英国派遣留学生団の団長を務めた新納久修のお墓もあるようです。

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