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2015年3月

2015年3月12日 (木)

図書館にお雛様が飾ってあります。

 図書館にお雛様が飾ってあります。図書館司書の中島さんが毎年この季節になるとご自宅から持ってきて飾っていただいているとのことです。内裏雛(男雛・女雛)の2体だけですが,とても華やかなひな祭りの雰囲気を醸し出しています。生徒の皆さんも見に行ってみてください。

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 男雛を「お内裏様」,女雛を「お雛様」と呼ぶのは,童謡「うれしいひなまつり」の歌詞から広まった誤用だそうです。本来なら「お姫様」というところでしょうか。

 また,男雛・女雛の左右の位置は,かつての日本では「左」が上の位であったことから,元々は(人形の方からみて)お内裏様が左側,お雛様は右側でした。『京雛』はこの並びです。ところが,明治の文明開化で日本も西洋式に習い,大正天皇が即位式で右に立ったことから,以降はそれが皇室の伝統となって現在に至っているのだそうです。『関東雛』や「結婚披露宴の雛壇」はこの並びです。図書館にあるお雛様は関東雛の並びですね。

桜切る馬鹿,梅切らぬ馬鹿

庭木の剪定法として「桜切る馬鹿,梅切らぬ馬鹿」という言葉があります。梅は枝を切らないで放任状態にしておくと,枝が込み合って良い花や果実が成らなくなることをさした言葉のようです。本校の桜はこれからですが,校門左側にある紅梅は花の季節が終わったということで,書道の池田先生と用務員さんが,今朝,剪定をされたようです。

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2015年3月11日 (水)

今日は3.11

今日は鎮魂の3月11日。東日本大震災から4年が経過しました。本校でも半旗を掲揚し,地震の発生した14:46分には,職員会議中の先生方も,部活動等で登校している生徒も,その場で黙祷を捧げました。

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校舎改築工事現場の様子3/11

現在,2階から3階にかけての鉄筋の枠組み工事が進められています。防音シートがかけられているため,外からでは中の様子がよくわからなくなりました。

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2015年3月 9日 (月)

名城大学から2名の方が本校を訪問されました。

 今日は,甲南23期の川島さんといっしょに名城大学から岩谷准教授と小川さんのお二人が本校を訪問されました。
 川島さんから赤﨑先生のサインの入ったノーベル賞のポスターが学校に贈られました。(写真上)川島さんが赤﨑先生にお願いしてサインを書いていただいたということでした。
 名城大のお二人からは青色LEDの展示キットの紹介がありました。(写真中)このキットはノーベル博物館に赤﨑先生が贈られたものと同じ貴重なものだそうです。先生の意向で本日大龍小学校に贈呈されますが,本校でも展示できるように大龍小と本校で相談してほしいというお話でした。
 また,赤﨑先生からお土産を渡すよう頼まれてこられたとのことで,同級生の海江田さん,増満さんにも学校に来ていただきました。(写真下)

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2015年3月 8日 (日)

若き薩摩の群像(9)人物編⑧吉田清成

 8人目に紹介する「吉田清成(よしだきよなり)」は,電車通り側中段向かって右側で,左手にステッキを持ち,立っている人物です。


市の説明板にはこう書いてあります。(下段の顔写真も市の説明板にあるものです。)
吉田清成 留学に当たっての変名:永井五百介 出発時21歳
海軍測量術を学ぶ。慶応3年(1867年)7月渡米。ラトガース・カレッジで政治経済学を学ぶ。明治3年冬帰国。新政府の財政問題と条約改正に取組む。駐米公使,農商務次官をつとめる。


調べてみると次のようなことが出てきました。
弘化2年(1845)薩摩藩士吉田源左衛門の四男として上之園町に生まれる。(生地は三方限出身名士顕彰碑敷地内にある市の説明板の裏にある地図によれば,長沢鼎の生地:甲南福祉館付近にあったらしい)藩の開成所学生として蘭・英語を学ぶ。
イギリス到着後,ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで2年間学んだ後,留学生が帰国組と渡米組に分かれると,吉田は慶応3年(1867)8月,ローレンス・オリファントのすすめでアメリカに渡り,ハリス教団に参加し,労働を中心とする信仰生活に入る。しかし,教団での生活が1年近く経った頃,トーマス・レイク・ハリスと吉田,畠山,松村の3人は意見が衝突して教団を去る。ハリスを信じて教団に残ったのは森,鮫島,長澤であった。
 明治元年(1868)5月,教団を脱退してラトガース大に入学し,アナポリス海軍兵学校を志すが途中で変更してウィルブラハム・アカデミーへ移り政治経済学の勉強を始める。ラトガース在学中の11月に正式に洗礼を受ける。卒業後ニューヨーク市などで銀行保険業務の実際を学び,明治3年(1870)12月帰国。大蔵省に出仕して租税権頭・大蔵少輔を歴任する。債募集のため米国に派遣された際,そのとき米国にいた森有礼と起債の是非を巡って激しく対立した。
明治7年(1874) 駐米公使へ転出,寺島外務卿の下で関税自主権回復を目的として条約改正交渉に従事し,明治11年(1878),日米約書(吉田・エヴァーツ条約)の調印に成功するが,英独の反対で条約は無効となる。
明治15年(1882)外務大輔となるが,時の外務卿井上馨と意見が合わず,明治18年(1885),農商務大輔へ転任となる。
1887年(明治20年)に子爵に叙せられて元老院議官に転出,翌年には枢密顧問官となる。投機取引を抑制する取引所条例制定の推進者としても有名で、終生自分が理財家たることを忘れなかった。明治24年(1891)8月没。享年47歳。
生前,多数の手紙・日記・記録などを遺しており,これら2,700通は「吉田清成文書」として京都大学日本史研究室に保管されている。


吉田清成は,外交官として活躍した他,理財家として明治初期の日本の経済の在り方に足跡を残した人物のようです。吉田と森有礼との対立のように,若い留学生のなかでの生き方,考え方の違い,対立も当然おこることだろうと感じます。

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2015年3月 7日 (土)

甲南高校新聞第235号を発行しました。

3月2日付けで甲南高校新聞第235号を発行しました。卒業特集号として生徒には配布済みです。
<主な記事>
1面 卒業生に贈る言葉 論説 66期生3年間の主なできごと 分水嶺
2面 卒業生に贈る言葉 66期生の国公立大学出願状況
3面 特集(赤﨑先生) 特集(甲南高校新聞66年の軌跡)
4面 鳶目兎耳(上原先生) 京都賞鹿児島講演会 部活動潜入記(音楽部)華麗に舞う甲南のアナウンサー

甲南高校新聞第235号 sinbun235gou2.pdfをダウンロード

印刷をお願いした朝日印刷さんからpdfファイルの提供がありましたのでファイルを貼り替えました。さすがに写真からpdfにした前のファイルよりだいぶきれいです。(3/19)

(下の画像からは紙面は読めません)

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2015年3月 6日 (金)

クラスマッチの写真集ができました。

3日に行ったクラスマッチの写真集ができました。写真60枚をスライドショーにしてあります。室内でのスポーツ写真は難しいなあ。当日の雰囲気をご覧ください。

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クラスマッチ写真集(音楽はTAM Music Factoryから「春の向日葵」)

17.1MB 3分 150303classmach.mp4をダウンロード

2015年3月 5日 (木)

卒業式の写真集ができました。

お待たせしました。卒業式の写真集ができました。写真100枚をスライドショーにしてあります。式の性格上,前列席に座った皆さんが何回も写っている反面,写っていない人もたくさんいて申し訳ない気持ちです。式の雰囲気をご覧ください。

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卒業式写真集(写真は同じもの。音楽はいつものTAM Music Factoryから「いつの日か」)

短い(早速)バージョン(23.8MB 3'51") 150302sotugyousiki.mp4をダウンロード

中間(中速)バージョン(27.0MB 5'48") 150302sotugyousiki21.mp4をダウンロード

長い(低速)バージョン(29.4MB 7'39") 150302sotugyousiki3.mp4をダウンロード

2015年3月 4日 (水)

国公立後期試験まであと1週間

 卒業式が終わったばかりですが,今度の日曜日が国公立大学中期試験,来週の木曜日12日が後期試験です。3年生は緊張を切らさず,最後までがんばってください。
 前期試験の1週間前2/18に掲載した「がんばってきた君がいる」(3の1澤口さん作)の詩を,今回はKBCの桑木さん(第36回九州高校放送コンテスト朗読部門優勝)に読んでもらいました。(桑木さん,ありがとう!) 3年生への最後の応援として聞いてください。

  がんばってきた君がいる(音声ファイル) 150304kimigairu2.mp3をダウンロード

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