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2014年11月 9日 (日)

若き薩摩の群像(2)人物編①町田久成

最初に紹介する「町田久成」は,一番上のアミュ側に立っている人物です。


市の説明板にはこう書いてあります。(下段の顔写真も市の説明板にあるものです。)
町田久成 留学に当たっての変名:上野良太郎 出発時28歳
留学生の学頭として指導監督にあたる。帰国後は博物館の創始者,元老院議員となる。


ウィキペディアで調べてみると
1838-1897 島津氏庶流として鹿児島城下で生まれる。薩英戦争や禁門の変にも従軍。
1865年1月 薩摩藩英国留学生を率いて英国留学に出発。10月よりロンドン大学ユニバーシティカレッジ法文学部の聴講生となる。
1867年2月 パリ万国博覧会に参加。6月,英国より帰国
明治維新後,外務省,内務省で重職を務める。
1870年9月 大学大丞に異動
1871年5月 大学が文部省へと変わると文部省博物局を設置し「集古館」建設を提言
1882年3月 東京帝室博物館(後の東京国立博物館)初代館長に就任~同年10月
1885年3月 元老院議官となる。~1889年12月
1890年 三井寺光浄院住職となる。
1897年9月15日療養先の寛永寺明王院で死去
1912年 国立博物館裏庭に井上馨,杉孫七郎らの提案で顕彰碑が建立された。

ヨーロッパ滞在中に博物館事業の重要性を認識し,維新改革,廃仏毀釈の流れの中で多くの美術品が破壊,また海外に流出していくのを惜しみ,博物館創設事業に携わる。官費が不足する中で私財を用いて収集を続け博物館の所蔵品充実に尽力した。書画篆刻を自らよくし,美術品の鑑定眼が優れていた。


今年度の修学旅行でも2年生が東京国立博物館を見学しましたが,その建設に尽力し初代館長となった人物が,町田久成ということですね。

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