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甲南高等学校

剛 明 直(ごうめいちょく) 気高く 優しく 健やかに 

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2014年12月

2014年12月 8日 (月)

防火防災避難訓練

今日は,今年度2回目目の防火防災避難訓練が予定されていましたが,予定時間前に雨が降り出し,体育館での講話だけになりました。鹿児島市消防局の甲南分遣隊から隊員の方に3人来ていただき,講話をしていただきました。

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[講話の要旨]
・消火器の使い方
  ピンを抜く,ホースを向ける,レバーを引く
・地震時の避難
  机の下に隠れる,出口を確保する,消火をする。周囲を確認し注意しながら逃げる
・火災の注意
    鹿児島市では2日に1回は起きている,車両火災も多い,
  たき火が原因も多い,煙がこわい,将棋倒しにならないよう
・先生方の役割
  役割の確認が大事,人数を確認,逃げ遅れた者がいないか
・救急車の出動
  1年で2万5千回出動,重体者が手遅れにならないよう譲り合い
・地震時の火災
    消防車が行けない,現場の人が消火器を使えることが大事
・津波に備える
    釜石の奇跡,想像力を働かせて想定外にも対応できるように

県吹奏楽アンサンブルコンテスト

昨日,加音ホールで開かれた県吹奏楽ソロ・アンサンブルコンテストで,本校の木管五重奏グループが金賞となり,九州大会出場権(25校中3校)を獲得しました。

アンサンブル木管五重奏出場者
馬場あずさ(フルート) 原野加奈子(クラリネット) 廣濱隆世(オーボエ)
三井桃子(ファゴット) 小山田健人(ホルン)

ソロ出場者の結果
川畑紗英(トロンボーン)金賞 日高綾乃(トランペット)銀賞

2014年12月 7日 (日)

若き薩摩の群像(6)人物編④森有礼その2

森有礼の生誕地に行ってきました。国道10号線から春日町の交差点を左に入り春日神社の目の前に大きな石碑が建てられています。碑文の文字は松方正義書とあります。

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市の案内板の説明にはこう書かれていました。


 極めつけのハイカラさん~日本の教育制度を創設した初代文部大臣~
 1885年(明治18)わが国初の伊藤博文内閣成立時,その国際的見識をかわれて文部大臣に就任したのが森有礼です。彼はドイツの教育制度を参考に,小学校から帝国大学までの学校制度を整えました。「国家に役立つ人間をつくる」という彼の信念が第2次世界大戦までのわが国の教育を方向づけたのです。
  若くして海外事情に目覚めた森は,17歳の時,五代友厚らと共に19名の使節・派遣留学生に選ばれ渡欧。帰国後は新政府の外交官として,清国やアメリカに駐在しました。このような海外経験から,彼は常に文明開化の先頭に立ち,閉鎖的な思想を批判し,西洋文化を紹介し広めることに努めました。廃刀論,信仰の自由,男女同権,一夫一婦制,さらには「英語を国語に」という提言や,西洋風の結婚パーティ,契約結婚の実行など,当時としては極めつけのハイカラさんだったようです。
 ところが時代はそんな彼を受け入れず,伊勢神宮参拝で不敬行為があったと噂され1889年(明治22)憲法発布日の朝,官邸で刺殺されました。


甲南高校がある上之園近辺,かつての三方限出身の人物ではありませんが,日本史の教科書に出てくる人物ですし,市の説明板は「極めつけのハイカラさん」という表現をしていますが時代的にもまた本県の先人としてもかなり特徴のある興味深い人物だったように思います。下の写真は市の説明板にある顔写真です。(写真は昨日雨の中撮りましたので雨粒が写っています。)

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2014年12月 6日 (土)

校舎改築・新築工事の状況

北校舎の改修部分は外から見えませんが,新築部分は写真のような状況です。基礎工事から足場が組まれて躯体工事に移っていく段階のようです。

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最後の模試

期末考査が終わってすぐですが,センター試験まであと42日。3年生は今日も模擬試験で本番前最後の模試になるようです。記述対策ということで,自分に必要な教科を選んで受験しています。待ち時間の生徒や模試を受けない生徒も教室で勉強していました。かぜを引かないようにがんばれ3年生!

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桜島に雪

昨日,桜島が初冠雪とのことでしたが,昨日は時雨模様で学校からはなかなか写真が撮れませんでした。今朝は鹿児島市もこの冬最も低い4.6度だったそうで,桜島も雪化粧のままでしたので写真を撮って来ました。全国的に荒れ模様のようですね。

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2014年12月 5日 (金)

若き薩摩の群像(5)人物編④森有礼

4人目に紹介する「森有礼」は,アミュ側下段の左側に左手に本を開いて立っている人物です。名前は「ありのり」と読みます。


市の説明板にはこう書いてあります。(下段の顔写真も市の説明板にあるものです。)
森 有礼 留学に当たっての変名:沢井鉄馬 出発時19歳
海軍測量術を学ぶ。慶応3年(1867)渡米,翌年の明治元年(1868) 6月帰国。のちわが国最初の駐米大使となる。駐英公使を経た後,教育制度の確立と近代化に大きな足跡を残す。初代文部大臣。


ウィキペディアなどの資料を要約するとこのような人物だったようです。彼を取り上げた本はたくさんあるようで,NHKの「その時歴史が動いた」でも取り上げられたことがあるようです。

1847年鹿児島城下春日小路町で藩士の五男として生まれる。(春日神社の前に石碑が建てられている。)
1860年頃より造士館で学び,その後,藩の洋学校である開成所に入学,英学講義を受講する。
1865年薩摩藩英国留学生としてイギリスへ。ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジに学ぶ。同時期の長州から留学生(長州ファイブ)とも交流。
1年経過,学費が継続できないとの知らせで,帰国組と渡米組に分かれる。
1867年ローレンス・オリファントの誘いで松村(市来),畠山,鮫島,吉田,長沢とともに渡米。新興宗教家トマス・ハリスの教団と生活をともにし,キリスト教に深い関心を示す。
1868年帰国,新政府に出仕し外国官権判事,公儀所議長心得など要職を歴任。
廃刀案を建議し否決されると一時鹿児島に帰る。
再出仕を命じられ,駐米弁務公使(現駐米大使)として渡米。条約改正の交渉にあたる。この頃,英語の国語化を主張。
1873年帰国後,福澤諭吉・西周らと共に明六社(人材育成のための「学会」)を結成。急進的な思想から明六の「幽霊」と称される。
その後,清国特命全権公使,駐英公使を歴任。
帰国後,人材育成を急務として外務畑から文部畑に転じる。
1875年東京銀座尾張町に私塾・商法講習所(一橋大学の前身)を開設する。
1885年第1次伊藤内閣の下で初代文部大臣に就任。
『諸学校令』(帝国大学令,師範学校令,中学校令,小学校令の四令の総称)を発し,従来の教育制度から抜本的な改革を図った。この功績によってのち子爵に叙せられる。
1889年2月11日の大日本帝国憲法発布式典の日に国粋主義者・西野文太郎に切りつけられ翌日死去。43歳。急進的な欧米主義者として伊勢神宮不敬の疑いがかけられためという。


明治の学校制度の枠組みをつくった初代文部大臣として有名ですが,かなり強烈な個性,行動力の持ち主だったようです。この個性的なところが彼の魅力かもしれませんね。

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保健だよりNo7

保健だよりNo7を生徒に配布しました。
感染症予防の徹底を~5つのステップでかぜを撃退~,笑いと免疫力,受験生のみなさんもうひとふんばり,などの記事を載せてあります。

保健だよりNo7 14hoken_no7.pdfをダウンロード

2014年12月 4日 (木)

冬に咲く花

ヤツデのつぼみは今日は写真左のような状態で,やっと花のように見えてきました。写真右は玄関の裏側にある池のそばに咲いているツワブキの花です。ふきのとうができるフキとは違うようです。余談ですがフキという言葉の由来は冬に黄色の花を咲かせるところから冬黄(ふゆき)がつまってフキになったそうです。以前サザンカとビワの花を記事にしましたが,こうやって眺めると冬に咲く花もたくさんあるんですね。

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コートハンガー登場

鹿児島もしぐれもようが続いていつの間にか冬っぽくなってきました。制服も冬服に替わりましたが,女子生徒の中にはコートを着てくる生徒もいるようです。コートを置く場所として本校では各教室の廊下にコートハンガーを置くようにしています。あまり他の学校ではやっていないかもしれませんね。

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