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2015年12月

2015年12月25日 (金)

冬季課外

昨日は終業式でしたが,今日は全学年そろって冬季の課外を実施しています。みんな元気に登校しています。冬季の課外は例年28日までの4日間ですが,今年は曜日の関係で,今日と来週の月曜日の2日だけです。明日,明後日は3年生はセンター直前模試を受験します。

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2015年12月24日 (木)

クリスマスコンサート

本日17:00から二甲記念館で恒例のクリスマスコンサートを開催しました。今年は吹奏楽部に音楽部も加わっての開催となりました。生徒のほか保護者にもたくさん来ていただき,あいだにプレゼント抽選会も入っての楽しい1時間のステージになりました。動画も含めて写真をたくさん撮りましたので,整理ができましたらまたアップします。(おそらく来週後半になると思います。)

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下宿生指導

清掃後のLHRが終了したあと,下宿生指導を習熟度E教室で行いました。冬休みの帰省の時期に合わせて毎年実施しているものです。下宿生担当の山下先生から次のような指導がありました。

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・特に苦情は聞いていないが,皆さんの下宿での様子はどうだろう。他校の生徒との関係はどうか,迷惑をかけたり,かけられたりしていないか。
・次の後輩たちの下宿先を確保する意味からも君たちには責任があることもわかっておいてほしい。
・下宿も共同生活ということで感染症が心配だ。しっかり健康管理に努めてほしい。
・3年生も元旦くらいは家で過ごすことで良いのではないか。帰省して保護者としっかり話す時間を持ってほしい。

2学期末の大掃除

昼食後,全員更衣をして,50分間の大掃除をしました。終業式で校長先生から1年の締めくくりとして大掃除は大切という話があり,みんな時間いっぱい,かねてできないところを見つけて取り組んでいました。

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たくさん写真を撮りましたので,スライドショーにしてアップします。(写真45枚 音楽はTAM Music Factory 「春の向日葵」)

2学期末の大掃除写真集 151224oosouiji.mp4をダウンロード

2学期終業式

10:40から2学期終業式を行いました。最初に2学期最後の表彰式を行い,吹奏楽部,書道部の他,100冊読破運動の100冊突破の皆さんが表彰を受けました。100冊読破運動は図書館の本を100冊読破するごとに表彰され,記念品としてブックカバーが贈られます。中でも今日表彰を受けた3年の興梠さんは今回で900冊を突破し,本校の新記録を樹立しました。

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そのあと,2学期の終業式として校長先生から次のような式辞がありました。

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・来年度から3年生になって選挙が行われるまでに18歳になれば,高校生でも選挙権があることになる。基本的人権は憲法97条にあるように「人類が長年の自由獲得の努力の成果」として勝ち取ってきたものだ。
・皆さんが「社会がこうあったら自分もみんなも幸せになれるのになあ」という意見を持つことが大事だ。自分には関係ないと言ってみても政治には強制力がある。どうせなら関心を持とう。
・世の中はどうあるべきか,そのためには自分はどうあるべきか,勉強しないとその答えは出ない。
・1,2年生にはスーパーグローバルハイスクールの活動でいろいろやってもらっている。忙しいかもしれないが,「これをすればあれができない。」というふうに考えるのではなく,「これができればあれもできる」というように1+1を2ではなく,3にも5にもすることを考えてほしい。
・年末年始,日本で一番季節感のある時期に入る。日本人が大切にしてきたお正月の文化も理解できる若者であってほしい。
・3年生は「悔いの残らない」残りの日々を過ごしてほしい。

式辞の後,永井先生の伴奏で校歌を斉唱して終業式を終わりました。

その後,進路指導部(松崎先生)生徒指導部(山元先生)保健部(福留先生)から次のような講話がありました。
<進路指導部(松崎先生)>
・1年の終わりに今年1年を振り返って,次の年に向けて決意を新たにしてほしい。
・勉強はやればやるほど奥が深く,もっと知りたいと思うようになる。新しい世界や本物に触れると,目からウロコが落ちて,それまでと世界が変わる。その実感を感じやすいのが若さだ。
・よい緊張感は人を成長させる。自分がどこまで伸びるのか,楽しんでほしい。
・甲南に引き継がれている伝統は,チーム甲南,みんなでがんばることだ。3年生最後まであきらめずにがんばってほしい。

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<生徒指導部(山元先生)>
・生徒会の執行部ががんばっている。もう少し委員会活動を活発にしたい。
・朝,野球部や女子バレー部が清掃をしている。コートの外に勝負ありと言われる。この時期に部室の片付け等もしっかりやってほしい。
・いじめ防止の標語が選ばれた。中に「友だちと遊ぶ 友だちで遊ぶ 君はどっち」という標語があった。友だちとどういうつきあい方をしているのか,みんなもう一度胸に手を当てて考えてほしい。

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<保健部(福留先生)>
・団体で生活をしているということで,衛生上のエチケットを守る必要がある。
・今後,インフルエンザ等の感染症がはやる可能性もある。休養をとる,栄養をとるなどの自己管理が大切な時期だ。

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小論文コンクール

学期末の終業式の日に,小論文コンクールをすることが恒例になっています。
最初の1時間で自分で小論文を書き,後の1時間でグループをつくり,メンバーの書いた小論文を評価し合う活動をします。1年生も2回目でだいぶ慣れてきたようです。

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センダンの木に

今年もセンダン(写真下左)の実を食べにたくさんの鳥が来ています。昨年はヒヨドリ(写真上)しか気づかなかったのですが,今年はムクドリ(写真中)も来ているようですね。木の下にも実と枝が散乱(写真下右)してこれも片付けるのがたいへんです。

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欧州便り「テロの脅威 肌で感じる」

12月23日付の南日本新聞朝刊に,3回目の「欧州便り」を寄稿させていただきました。今回は,以前ブログ上でもお伝えしたグレー滞在とテロ事件について書きました。

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ブログでも今回の「欧州便り」でも,テロ事件についてどのように書き伝えればよいのか大変悩みました。内容の良し悪しは自分自身では言えませんが,私が見たこと感じたことを素直に書いたつもりです。

記事に添えてある2枚の画像は,過去に掲載したものと同じです。

写真下:グレーの川にかかる古い石橋を描いた水彩画

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写真下:事件現場の前でフランス国旗をまとう男性

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 秋深まる10月下旬,フランスの田舎町グレー・シュル・ロワンに1週間滞在して,その美しい風景を描いた。

 パリから南へ約60㌔,フォンテーヌブローの森の南に位置するこの町は,鹿児島市出身の画家・黒田清輝が訪れて以来,鹿児島との縁が続いている。2001年には町の一角に「黒田清輝通り」が誕生し関係はより密になり,南日本美術展の欧州留学生の多くが一定期間滞在して作品を制作している。
 夏のバカンス客が去って人けの無くなった秋のグレーは,静寂に包まれていた。木々の葉は枯れ,風に吹かれてどんどん落ちていく。森の生命はみんな,長い冬の眠りに静かにつこうとしている。そんな中に一人,白い息を吐き震えながら絵筆を動かしていると,自分もその自然の一部になったような感じを覚えた。来年3月,私が留学を終えて帰国するころ,森は再び芽吹くだろう。
 グレー滞在中は,多くの方にお世話になった。ひとりひとりの顔を思い浮かべるだけで幸せな気持ちになる。ろくにフランス語を話せない私に,みんな優しく笑顔で話しかけてくれた。美しい風景だけでなく,そこに暮らす人々もまた,グレーの魅力である。生き馬の目を抜くような,どこか息をつくことのできないパリの暮らしを少しの間離れたことで,再び喧騒の中を歩く活力が出た。
 そんなグレーでの日々の余韻残る11月13日夜,パリ市内で同時多発テロ事件が発生した。余韻は吹き飛び,混迷を深める世界情勢の真っただ中に置かれている現実を肌で感じた。事件以降,カフェでゆっくりエスプレッソを味わう余裕は無くなり,パトカーのサイレンには過敏に反応するようになってしまった。
 事件発生から2週間たって,私は初めて現場を歩いた。黙とうをするなど犠牲者に対し私なりの哀悼の意を表してきたが,直接事件の現場に行くことにはためらいを感じていた。私の中で犠牲者を悼む気持ちよりも,まだ好奇心の方が大きい気がしていたからだ。
 しかし,日がたつにつれ「自分の目で見ておかなくてはならない」という思いが強くなった。ある友人からの「現場に行くことはそこに暮らす人の責任であり,権利ではないか」「悲しい出来事だが,歴史の証人として,見て伝えてほしい」という言葉も私の背中を押した。
 事件現場では手を合わせることしかできなかったが,行ってよかったと今は思っている。
 (第69回南日本美術展第20回吉井賞受賞者)

2015年12月23日 (水)

若き薩摩の群像(23)人物編⑪長沢鼎「本籍・生い立ちの地」

 長沢鼎については,昨年10/26付けで誕生地の記念碑,4/26付けで若き薩摩の群像の11人目として取り上げており,今日で3回目です。
  今年の11月に,甲突川の河岸の「本籍・生い立ちの地」に記念碑が立てられたと聞きましたので行ってきました。

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 石碑の表の説明板には次のように書かれています。
 長澤鼎(本名 磯永彦輔)は1852年,嘉永5年に鹿児島城下に生まれる。下荒田のこの地で多感な少年時代を送り,郷中教育や示顕流を学び,薩摩武士道を身に付ける。 開成所洋学校時代の1865年(慶応元)薩摩藩英国留学生15人のなかに最年少の13歳で選ばれ渡英,スコットランドに一人送られるがアバディーンの中学校に在籍して優秀な成績をおさめる。
  1867年(慶応3)15歳でアメリカ・ニューヨーク州に渡り,さらにカリフォルニア州サンタローザに移住してこの地に永住。苦労を重ねながらワインの醸造所とブドウ園の経営に尽力して偉大な功績を残し,後世まで「ブドウ王」「ワイン王」としてその名を語り継がれる。
 1910年(明治43)本人の強い希望で,この地荒田町(後の下荒田町)53番地に新戸籍を創設,ここを終生の故郷とさだめる。
 1934年(昭和9),日本人初のアメリカ移民として日米の強い絆を結んだ長澤鼎は,カリフォルニア州サンタローザの地で82年におよぶ波乱の生涯を閉じる。今,鹿児島の興国寺墓地で静かに眠る。
                                                           鹿児島サンタローザ友好協会
                                                                       会長 森 孝晴 記

右側の写真は渡英した13歳当時ロンドンで撮影されたもののようです。

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石碑の裏面には
2015年(平成27)11月1日 長澤鼎英国留学150年を記念して建立する  とあります。

長澤の誕生地は,甲南高校の正面道路の向かい側を少し入った共研幼稚園の隣に記念碑が建っていますが,この生い立ちの碑はその後引っ越して少年時代を過ごし,アメリカに移住した後,だいぶ立ってから本籍地になった場所ということのようです。
興国寺墓地は鹿児島市冷水町にあって,薩摩藩英国派遣留学生団の団長を務めた新納久修のお墓もあるようです。

2015年12月22日 (火)

全国高校生国際シンポジウムのお知らせ

本校ではSGH活動の一環として,来年2月12日,13日に鹿児島市で「全国高校生国際シンポジウム」を開催します。(すでに公文等は発送しています。)

このシンポジウムに関しては 別サイト を設けています。

左側のDL・リンクのコーナー「2-2 本校SGH 全国高校生国際シンポジウムへ」 から当該サイトに移動できますのでご利用ください。

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