学校保健全国表彰
12/3 愛媛県松山市で平成27年度全国学校保健・安全研究大会が開催され,保健部主任の福留先生が出席して,全国表彰を受けました。その時の写真が届きましたのでアップします。本校の受賞については11/13付けで記事を掲載しています。




甲南高等学校
剛 明 直(ごうめいちょく) 気高く 優しく 健やかに
12/3 愛媛県松山市で平成27年度全国学校保健・安全研究大会が開催され,保健部主任の福留先生が出席して,全国表彰を受けました。その時の写真が届きましたのでアップします。本校の受賞については11/13付けで記事を掲載しています。



ふと,ブログのアクセス解析を見ると,夕べの内にアクセス数の合計が100万を超えていました。(ブログ画面に設置しているアクセスカウンターは82万件ですが,これはブログ開設から1か月遅れで設置したもので,シナプスブログのアクセス解析よりいつも少し少なめに出ています。)いずれにしても数字の意味はよくわからないのですが,多くの皆さんにご覧いただいていることは間違いないようです。これからもがんばります。よろしくお願いします。


4限目に1年生の調理実習をのぞいてきました。調理実習の記事は今年度になって初めてですね。
今日の課題は「豚肉を使った料理」。各班で知恵を出し合って,メニューもいろいろでした。メニューの違いからか,できあがるまでに早い遅いはありましたが,一番遅い班でも昼食時間内にかたづけまで終わったようです。
調理実習の様子(写真42枚スライドショー約2分 音楽はTAM Music Factoryから「あこがれ色」)


家庭科室の前で綿花を見つけました。家庭科の森園先生が夏前に種を植えてプランターで育てておられたものです。自然の繊維の代表である「綿」はこんなふうにしてできることを生徒に見せたくて植えてみたとのことです。(もう一つの代表である「絹」はカイコのまゆの繊維です。)写真下のように緑色の実が成長し枯れてはじけると中から綿の繊維が出てきます。


この綿の固まりを手でとって集めていきますが,数が多いこと,背丈が1m程度で低いこと,枯れた枝や実の殻がトゲのように固いこと等で,たいへんな作業となり,世界史では,だから奴隷が労働力として必要だったとされています。
綿やカイコのまゆから繊維を引き出し,より合わせて糸にすることを「紡ぐ」と言います。この綿の固まりからどうやって綿の糸や布ができるのかとか,それがどうして産業革命に(話が飛びましたが)つながるのかとか,とても興味はつきないですね。
今日夕方,15期のモアンヌ前田恵美子さんがご夫妻で来校されました。ご夫妻は11月下旬に帰省され,先日前田さんが松陽高校で講演されたときの様子が新聞に掲載されていました。
前田さんについては8/24付けの上原先生のパリだよりで紹介されていますが,パリ近郊のグレーという町に黒田清輝通りが出来る際に尽力され,その後も鹿児島とのつながりを大切に活動しておられます。
今日は上原先生がグレーに滞在した時に現地の新聞に取り上げられた実際の記事を持参してくださいました。(11/8のブログにこのときの記事があります。)工事中で残念でしたが,校舎やグランドの様子も懐かしそうにご覧になっていました。明日フランスに帰られるそうです。


今日午後,沖縄県立那覇国際高校から仲吉教頭をはじめ久山,宜保,嶺井の4人の先生が視察に来られました。沖縄県はSGH校がなく来年度のSGH指定に向けて,本校の取組を聞き取りされました。訪問ありがとうございました。

本校の懸垂幕は,校門左の別館の正面壁にこれまで3+1本掲げていました。そのうち1本は赤﨑先生のお祝い,あとの2本はSGHと海外派遣に関するもので,生徒が活躍しても1本以上懸けられない悩みがありました。
そこで思い切ってあと2本増設することにし,この土日で枠の工事が行われ,本日から生徒分3本が新しくお披露目となりました。関係の生徒の皆さんお待たせしました。

<お披露目となった生徒分3本>
第70回国民体育大会5位・・・9/12ブログ掲載
中園優作(3年)200mバタフライ1分59秒82
第20回全日本高校・大学大賞受賞・・・8/30ブログ掲載
調和体部門 福田知紗(3年) 漢字部門 中塚一穂(3年)
第39回全国高等学校総合文化祭・・・8/2ブログ掲載
朗読部門 優秀賞(最高賞) 桑木栄美里(3年) 審査委員特別賞 大戸美穂(2年)
今朝は3年生学年朝礼,1・2年生甲南タイムを行いました。
3年生の学年朝礼は国語科の山下先生が最近生徒が解いた問題の文章を引用して「川が海に流れ込んだとき初めて自分を超えるものの存在を知ったという文章があった。みんなそれぞれ努力をしているつもりかもしれないが,自分以上に努力している人がいる。慢心せず最後までがんばれ。」と講話をしました。

2年生のあるクラスでは国語科の井川先生が,寿命を90歳としたとき誕生から死ぬまでの1日々を1つのマス目で表した方眼の上で,今の自分がどこにいるか確認しこれからの人生設計を考えてみようという講話をしました。

また,2年生では「学びにUK」グループの生徒が,自分の研究内容を英語でプレゼンするクラスもありました。


若き薩摩の群像として並んでいる17人をはじめに,渡英したメンバー19人を紹介してきましたが,市の説明板だけで紹介されている高見弥市を最後に紹介します。
市の説明板にはこう書いてあります。(下段の顔写真も市の説明板にあるものです。)
高見弥市 留学に当たっての変名:松元 誠一 年齢31歳
海軍測量術を学ぶ。元土佐藩士で,留学の翌年8月帰国。のち鹿児島で中等学校教員となり数学を教える。

これだけなので,あわせて薩摩藩英国留学生記念館のホームページの人物紹介も転載させてもらいました。
留学当時,薩摩藩開成所第三等諸生。蘭学専修。21歳。
土佐藩の出身で,尊皇攘夷派の土佐勤王党の一員として吉田東洋暗殺事件を起こし,薩摩藩邸に匿われた大石団蔵のこと。薩摩藩に取り立てられて後,高見弥一を名乗りました。 帰国後,いったんは明治政府に出仕し,大阪運上所勤務を命ぜられますが,明治5年(1872)には鹿児島に戻り,その後鹿児島で算術教員として過ごしました。
明治29年(1896)2月28日鹿児島で死去,52歳。
吉田東洋暗殺事件は,過去の大河ドラマでも取り上げられており見た記憶があります。
当時土佐藩の参政を務めていた吉田東洋を,意見が対立していた土佐勤王党の武市半平太が大石(高見)・那須・安岡の三人を刺客に選び暗殺したとされています。
さらにネット上でも記事がけっこう出てきます。要約するとこんな感じです。
事件後土佐藩の追っ手に追われると,当時京都に居た長州藩の久坂玄瑞の元を頼り,久坂によってその身柄を薩摩藩に預けられ,その間に親しくなった薩摩藩士・奈良原喜八郎の養子となり名前を高見弥市と変えて,薩摩藩に召し抱えられることになった。
薩摩藩に亡命した高見は,元治元(1864)年6月に薩摩藩が設立した洋学教育学校「開成所」の諸生に選抜された。この開成所諸生に選ばれた者は,薩摩藩の藩校「造士館」などから選び抜かれた俊才ばかりであり,高見が元土佐人でありながら,その諸生に選ばれたのは異例のことであった。さらに高見が英国留学生一員として推薦された事実を考えあわせると,開成所では非常に優秀な成績を残していたことが窺い知れる。
維新後は鹿児島県立中学造士館で数学教師として教鞭をとる。
明治25年(1892)には,沖縄県知事に就任した奈良原繁に従い沖縄県庁に勤めるが,やがて辞職して鹿児島へ帰った。
この中学造士館は甲南高校の前身である鹿児島第二中学校の元になった学校です。その意味で高見弥市は本校にとっては身近な存在です。
前回の堀孝之と今回の高見弥市が像になっていない理由は薩摩藩以外の出身だからという説明がされているようです。実際には「若き薩摩の群像の形態」からやむを得ないのかもしれませんが,小さな像でいいから隣にでも2人の像があっていいのではと思うのですが・・・。
11/27に新聞紙上で公表された第17回南九州市かわなべ青の俳句大会結果です。本日表彰式が行われました。(入選者全員の作品をもらいましたので掲載します。12/7)

