若き薩摩の群像(20)人物編⑱堀 孝之
若き薩摩の群像となっている17人は前回までに紹介しましたが,渡英したメンバーは19人で,市の説明板にはあと2人の人物が紹介されいています。その一人が堀孝之です。
市の説明板にはこう書いてあります。(下段の顔写真も市の説明板にあるものです。)
堀 孝之 留学に当たっての変名:高木 政二 年齢不詳
一行の通訳。長崎人。新納,五代と共にイギリス国内やヨーロッパ大陸を視察,のち岩下方平らのパリ万博使節団にも随行。
これだけなので,あわせて薩摩藩英国留学生記念館のホームページの人物紹介も転載させてもらいました。
留学当時,21才。
長崎のオランダ通詞(通訳)堀家の生まれ。長崎出身。
通訳として参加。五代友厚の長崎海軍伝習所時代から親交があったようです。
薩摩藩英国留学生として渡欧中は,新納・五代・寺島とともにヨーロッパ各国を回り,慶応2年3月帰国しました。五代が実業界に転進してからは五代の事業を助け,五代の死後は遺族の世話をしていたそうです。
堀家と薩摩藩の関係は深く,島津重豪が『成形図説』の編纂のために,孝之の曽祖父にあたる堀家5代堀門十郎を薩摩藩に召抱えています。明治44年(1911)67歳で死去。
今,NHKの朝のドラマで五代友厚が注目されています。堀孝之はその五代と深い関わりのあった人物だったようですね。