欧州便り「『ゴッホの家』に息のむ」
9月16日付の南日本新聞朝刊に2回目の「欧州便り」を寄稿させていただきました。今回は皆さんもよくご存知のゴッホについて書きました。ゴッホは以前から好きな画家の一人でしたが,じっくり作品を観たりゆかりの地を歩くことで,理解が深まりますます好きになりました。
生前ゴッホは弟テオと亡くなる直前まで手紙のやりとりをしていて,手紙を日本語に翻訳した本が出版されています。
「ゴッホの手紙」(上)(中)(下) 岩波文庫
私は高校時代にこの本を読みゴッホに対するイメージが大きく変わりました。ぜひ甲南高校の生徒の皆さんにも読んでもらいたいです。
新聞記事では文章と合わせて2つの画像が掲載されています。1枚は私が描いた水彩画で,ゴッホが眠る墓地近くにある小さな教会を描いたものです。この教会はゴッホも描いていて,その絵は現在パリのオルセー美術館に収められています。
もう1枚の画像は,「ゴッホの家」オーナーのジャンセンさんとの写真です。大変気さくな方でした。
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オランダ出身の画家ゴッホは,1890年7月29日,フランスの田舎町オーベール・シュル・オワーズでその生涯を閉じた。彼は亡くなる約70日前,この町に住むガシェ医師を頼って南仏のサン・レミから来たのだった。
6月のある日曜日,私はこの町を訪ねた。強い風が吹き夏の太陽が照りつける暑い日だった。ゴッホが描いた教会や弟テオと共に眠る墓地などゆかりの場所を歩いた後,広い麦畑に出た。
照りつける太陽を浴びて麦は黄金色に輝いていた。青い空と黄金色の麦。実に美しい風景だが,私のまわりは不思議と静寂に包まれ,どことなく落ち着かない不安な気持ちにさせられた。遠くではカラスが群れをなして飛んでいる。この景色はまさに,ゴッホが描いた「カラスの群れ飛ぶ麦畑」そのものだ。彼もこの場所で同じ景色を眺めたに違いない。
ゴッホは町役場の正面にある宿屋ラブー亭の3階に部屋を借り,最後の日々を過ごした。現在そこは「ゴッホの家」として一般に公開されており,ゴッホが息を引き取った部屋も見学することができた。
私は古びた階段を静かに上り,その部屋に足を踏み入れた。その瞬間,緊張が走り息をのんだ。ほぼ当時のまま保存された部屋は,ついさっきまでゴッホがいたかのようだった。飾り気のない質素な部屋で,壁にはゴッホがキャンバス布を止めるために空けた穴が残っていた。
この日,「ゴッホの家」のオーナーであるジャンセン氏とお会いすることができた。約30年前に彼はラブー亭を購入し,後世に残すべき文化財として修復した。ジャンセン氏の屈託のない笑顔と力強い握手から,彼の人柄とゴッホに対する情熱が伝わってきた。
彼は私に出会いの証しとして,ゴッホの画集やポストカード,「ゴッホの家」について書かれた小冊子をくださった。その小冊子にジャンセン氏はこう記してくれた。「ムッシュナオヤ,今日は来てくれてありがとう。良き思い出に」。一期一会とはまさにこのことであろう。
ゴッホは37歳で亡くなった。今の私と同じ年齢だ。(ルネサンスの巨匠ラファエロ,断頭台の露と消えたマリー・アントワネットもまた,37歳でこの世を去った)。歴史に名を刻む巨星と私の画家人生など比べるまでもないのだが,ゴッホの生きざまを思うと「私も死ぬまで絵を描き続けなければならない」と決意を抱かずにはいられなかった。
(第69回南日本美術展第20回吉井賞受賞者)