若き薩摩の群像(11)人物編⑩名越時成
10人目に紹介する「名越時成(なごやときなり)(名越平馬)」は,電車通り側下段左側で立ったまま左手に本を持ち,右手のひじを台にもたれかけている人物です。
市の説明板にはこう書いてあります。(下段の顔写真も市の説明板にあるものです。)
名越時成 留学に当たっての変名:三笠 政之介 出発時21歳
陸軍学術を学ぶ。留学の翌年8月下旬帰国。
市の説明板にたった1行だけしか説明書きがない人物が二人いますが,そのうちの一人です。鹿児島市の観光サイトにはこのような文章が出ていました。
小姓輿当番頭だった名越は,1865(慶応元)年,21歳のとき三笠正之介と変名し,薩摩藩英国留学生の一員としてイギリスに渡る。はじめは留学生の候補に入っていなかったが,当初候補者だった島津織之介と高橋要が辞退したため,替わって留学することになった。
イギリスでは数学教師のドクトル・デゥイスという人の家に下宿し,ロンドン大学に入学して陸軍学術を学ぶ。翌年の1866(慶応2)年,他の4名とともに帰国する。帰国後の消息は不明。
別な記事で,「帰国して戊辰戦争に従軍したのち,かつて父の名越左源太が流刑にされた奄美大島に暮らした。1912年没。」と書かれたものもありました。
帰国してからの時代の流れの中で,表舞台に出ず,ひっそりと晩年を暮らした人物のようですね。