若き薩摩の群像(8)人物編⑦町田実積
7人目に紹介する「町田実積(まちださねつみ)」は,電車通り側中段向かって左側で,左手にコートを持ち,右手を胸の前折るようにして立っている人物です。
市の説明板にはこう書いてあります。(下段の顔写真も市の説明板にあるものです。)
町田実積 留学に当たっての変名:塩田惟之亟 出発時19歳
海軍測量術を学ぶ。留学の翌年8月帰国。町田久成の弟。
調べてみると次のようなことが出てきました。
出発時は,薩摩開成所学生。町田申四郎。留学生は学費仕送り等の問題もあって帰国組と渡米組に分かれるが,実積は1866年夏,弟町田清治郎,名越,東郷,高見らと共に帰国。帰国後1870(明治2)年には,小松帯刀死後,母の実妹が小松帯刀の妻であったことから藩主茂久の命により小松家当主となり小松清緝と名乗ったが,2年後には小松清直に家督を譲った。その後町田家に戻ったと思われるが消息は不明。
留学生の中で時代に埋もれた一人と言えるかもしれませんね。