三方限出身名士顕彰碑 (3)
三方限出身名士顕彰碑の裏面にある碑文を紹介します。
碑文はNHKの大河ドラマ「八重の桜」にも登場した徳富蘇峰によるものです。碑文が書かれた昭和10年は1935年ですので明治維新から67年後です。それからまた同じぐらいの年月が経っています。そういう時間の流れも思いながら読んでみたいと思います。
碑文は漢字カタカナ交じり文で書かれていますが,読みやすいように句読点を入れながら漢字ひらがな文にしてみました。
薩隅日の三州は島津氏の舊(旧)封にして、始祖忠久公以來、一姓連綿二十九世七百餘年。齊彬公英邁の資を以て、經世の略を負ひ、天下に率先して尊王の大義を唱へ、久光公其の志を繼ぎ、忠義公を輔け、維新回天の鴻業を翼賛するに及て、良弼名將雲の如く興り、或は廊廟の器と為り、或は干城の士と為り、其の功績相同じからずと雖も歴史的淵源と累世政教の感化とに由りて、一藩の士氣を鼓舞作興し、其の精華を發揮したるに至りては、未だ甞て、其の揆を一にせずんばあらず。
鹿児島市高麗、上之園、上荒田三町方限は維新以来人才の淵叢にして、西郷南洲、大久保甲東兩先生を始めとし、文武名臣の舊蹟は後進を誘くに歴史的の教訓を以てし、吾人に示すに國家報效(効)の鍼路を以てす。其の淵源既に遠く、千載不磨の典型を遺したるは吾人の牢記せざるを得ざる所なり。頃日同郷の有志胥謀り、三町方限先進先覺者の舊蹟を表彰せんが為に一個の石柱を各々其の門戸に建て、以て其の舊栖地たることを明にし、更に一大記念碑を荒田小學校の正門に建設し、之を後世に傳へんと欲し、文を予に徴す。予深く其舉の世道に裨補し、人心を警醒するに足るものあるを嘉みし。乃ち書して以て之を後人に諗くと云ふ。
昭和十年四月下浣 蘓峯 徳富猪一郎撰 方竹 梅園良正書
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