03-8 上原先生パリだより Feed

2016年1月 2日 (土)

Bonne année !

上原です。新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。昨年に続き,今年もパリの様子をお伝えします。タイトルにある《Bonne année !》(ボヌ ナネー!)は,フランス語で「新年おめでとう!」という意味です。

早速,年末年始の様子をお伝えします。私自身,海外での年越しは初めて。シャンゼリゼ通りが歩行者天国になると聞いていたので行ってみることにしました。大晦日の23時過ぎに自宅を出て地下鉄で向かいましたが,すでに地下鉄はすごい人(地下鉄は全て無料になっていました)。凱旋門の最寄りとなる数駅は混乱を避けるため閉鎖されていました。だいぶ離れた駅で下車して地上に出ましたが,すでにそこも人の海。シャンゼリゼ通りは人間であふれかえっていました。ゆっくり通りを凱旋門に向かううちに午前0時が近づき,人々の熱気も最高潮に。凱旋門にはプロジェクションマッピングでカウントダウンの数字が映し出され,2016年の幕開け。

写真下:凱旋門に映し出された「2016」と,通りを埋め尽くす人,人,人

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至る所で「Bonne année !」の挨拶が飛び交い,車のクラクションやパトカーのサイレン,酔っ払った人々の奇声と大変な騒ぎ。事前に友人から「よく注意した方がいい」と聞いていたので,速やかに帰宅しました。

翌1月1日の朝は冷え込んで寒々とした曇り空。

20160102_4外も静かで,さすがに元日はおとなしいなあと思っていましたが,ノートルダム大聖堂など観光地はいつも通り賑わっていました。

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昨夜大混雑だったシャンゼリゼ通りの様子が気になったので行ってみましたが,さすがに通常のシャンゼリゼ通りに戻っていました。

写真下:いつもの様子に戻ったと思いましたが・・・

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しかし,午後から警察がバリケードを設置し出してあっという間に再び歩行者天国に様変わり。今度はパレードが始まりました。

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マーチングバンドを先頭に,様々な団体が趣向を凝らしたパフォーマンスを行いながら何百メートルにわたって練り歩きました。

パリの新年のお祝いは,とにかく派手で賑やか。しかしそれも元日だけで,日本と違い翌2日からは日常に戻るとのことです。

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シャンゼリゼ通りが歩行者天国になるのは大晦日と元日くらいらしいので,通りの真ん中を歩けただけでも良い経験でした。

2015年12月29日 (火)

年の瀬のパリ

クリスマスイブの夜,自宅近くにあるノートルダム大聖堂の鐘はひときわ大きく鳴り響いていました。おそらくミサが行われていたのでしょう。

翌25日の午前中,自宅近くを歩いていると遠くからサイレンの音が聞こえてきました。10台ほどの警察の白バイが近づいてきたので「何事だろう!?」と身構えました。が,よくよく見ると一台の白バイの後ろにサンタが乗り,道行く人やアパートから眺める人たちに手を振っています。警察によるパフォーマンス,ということでしょうか・・・。

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冬,フランス人は魚介類をたくさん食べるそうです。なるほど,街中のマルシェ(市場)を覗くと,魚,エビ,貝,牡蠣,サーモン・・・と魚介類が所狭しと置かれています。

写真下:新鮮な魚介類の数々

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また,クリスマスや年末年始の頃になると,スーパーの精肉売り場には普段は見かけない種類の肉が並びます。

写真下:何の肉でしょう?

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写真下:パッケージの文字を見ると・・・

20151229_5なんと「Kangourou(カンガルー)」や「Crocodile(ワニ)」です!他にも,「Autruche(ダチョウ)」「Dromadaire(ヒトコブラクダ)」といったものもあります。これらは,フランス国外からやってきた人たち向けに売られているのだそうです。それだけフランスが多民族国家であることを表しています。

食の話題をもうひとつ。私は普段パンを買って食べていますが,ご飯も食べます。米は日本料理食材店で購入することができます。いつも買っているのは写真のお米です。

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20151229_7このお米,実はイタリアで作られたこしひかりなのです。初めて炊いた時「味は大丈夫かな」と心配しましたが,日本国内で作られる米に負けないくらい美味しいですよ。

年内のパリだよりは今回が最後となります。2015年のパリはテロ事件という大変な出来事が起きてしまいました。来年はこのような悲しい事件の無い1年になってほしいと心から願っています。年明けすぐに新年を迎えたパリの様子をお伝えしたいと思っています。

お世話になった全ての方に感謝申し上げます。皆様,よい年をお迎えください。

写真下:朝焼けに赤く染まるノートルダム大聖堂(12月25日)

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2015年12月24日 (木)

欧州便り「テロの脅威 肌で感じる」

12月23日付の南日本新聞朝刊に,3回目の「欧州便り」を寄稿させていただきました。今回は,以前ブログ上でもお伝えしたグレー滞在とテロ事件について書きました。

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ブログでも今回の「欧州便り」でも,テロ事件についてどのように書き伝えればよいのか大変悩みました。内容の良し悪しは自分自身では言えませんが,私が見たこと感じたことを素直に書いたつもりです。

記事に添えてある2枚の画像は,過去に掲載したものと同じです。

写真下:グレーの川にかかる古い石橋を描いた水彩画

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写真下:事件現場の前でフランス国旗をまとう男性

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 秋深まる10月下旬,フランスの田舎町グレー・シュル・ロワンに1週間滞在して,その美しい風景を描いた。

 パリから南へ約60㌔,フォンテーヌブローの森の南に位置するこの町は,鹿児島市出身の画家・黒田清輝が訪れて以来,鹿児島との縁が続いている。2001年には町の一角に「黒田清輝通り」が誕生し関係はより密になり,南日本美術展の欧州留学生の多くが一定期間滞在して作品を制作している。
 夏のバカンス客が去って人けの無くなった秋のグレーは,静寂に包まれていた。木々の葉は枯れ,風に吹かれてどんどん落ちていく。森の生命はみんな,長い冬の眠りに静かにつこうとしている。そんな中に一人,白い息を吐き震えながら絵筆を動かしていると,自分もその自然の一部になったような感じを覚えた。来年3月,私が留学を終えて帰国するころ,森は再び芽吹くだろう。
 グレー滞在中は,多くの方にお世話になった。ひとりひとりの顔を思い浮かべるだけで幸せな気持ちになる。ろくにフランス語を話せない私に,みんな優しく笑顔で話しかけてくれた。美しい風景だけでなく,そこに暮らす人々もまた,グレーの魅力である。生き馬の目を抜くような,どこか息をつくことのできないパリの暮らしを少しの間離れたことで,再び喧騒の中を歩く活力が出た。
 そんなグレーでの日々の余韻残る11月13日夜,パリ市内で同時多発テロ事件が発生した。余韻は吹き飛び,混迷を深める世界情勢の真っただ中に置かれている現実を肌で感じた。事件以降,カフェでゆっくりエスプレッソを味わう余裕は無くなり,パトカーのサイレンには過敏に反応するようになってしまった。
 事件発生から2週間たって,私は初めて現場を歩いた。黙とうをするなど犠牲者に対し私なりの哀悼の意を表してきたが,直接事件の現場に行くことにはためらいを感じていた。私の中で犠牲者を悼む気持ちよりも,まだ好奇心の方が大きい気がしていたからだ。
 しかし,日がたつにつれ「自分の目で見ておかなくてはならない」という思いが強くなった。ある友人からの「現場に行くことはそこに暮らす人の責任であり,権利ではないか」「悲しい出来事だが,歴史の証人として,見て伝えてほしい」という言葉も私の背中を押した。
 事件現場では手を合わせることしかできなかったが,行ってよかったと今は思っている。
 (第69回南日本美術展第20回吉井賞受賞者)

2015年12月19日 (土)

日常の買い物

2015年もあと少しですね。日本では年末の大掃除があったり,おせちの準備があったりとなにかしら年越しの空気を感じますが,パリではそういったものがないのでいまいち年の瀬を感じることができません。前回の記事で書いたように,パリはクリスマス一色です。スーパーに行くとクリスマスパーティーの準備の品々がたくさん並んでいます。

今回はそのスーパーについてお伝えしたいと思います。以前の記事でも少し触れましたが,いつも私は歩いて10分ほどのところにあるスーパーに買い物に行きます。

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私がいつも利用するのは「MONOPRIX(モノプリ)」という大手スーパーチェーンです。パリ市内に多くの店舗があり,旅行ガイドなどでも必ず紹介されています。食料品から日用品,衣類と何でも揃っているので大変重宝しています。

日本のスーパーと同じように見やすくジャンル別に陳列されているのですが,日本とフランスの大きな違いを感じるのは野菜や肉,乳製品の種類や数の多さです。農業国フランスだけあって数多くの野菜や果物が並んでいます。

写真下:トマトだけでも何種類もあります。サラダ用,煮込み用・・・

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写真下:日本ではあまり馴染みのないアーティチョーク

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写真下:秋冬はキノコの季節

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野菜は基本的に量り売りで,備え付けのビニール袋に欲しい分だけ入れてレジに持って行きます。

フランスは畜産も盛んなので,乳製品もたくさんあります。

写真下:様々なチーズ。フランスには300〜400種類のチーズがあるとか

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写真下:写真の冷蔵庫は全てヨーグルトです。これでもまだ一部です

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下の写真はフランスで一般的な牛乳です。日本は紙パックに入っていますが,フランスではペットボトルです。驚きなのは消費期限。特殊な処理が施してあるらしく,未開封の場合常温で消費期限は3ヶ月以上です。一体どのような処理なのでしょうか・・・。

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精肉は日本と同じように牛,豚,鶏が基本ですが,日本のスーパーでは見かけないような肉が売っています。その1つがこれ。

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「LAPIN」ウサギです。以前,友人宅でウサギのシチューをご馳走になりました。初めて食べましたがとても美味しかったです。鶏肉のようでした(調理前の状態を見せてもらい写真も撮影しましたが,さすがにここでは掲載を控えておきます)。

日用品を1つ紹介します。

写真下:石灰中和剤

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これは洗濯の際に洗剤,柔軟剤と一緒に洗濯機に入れるものです。ヨーロッパの水は石灰分の多い硬水です。硬水に含まれる石灰分が洗濯機の中や排水パイプに詰まってしまうのでこれを一緒に入れるのです。

レジの様子も日本とはかなり違います。レジのスタッフは椅子に座って作業をしています。レジにベルトコンベアがあるのでそこに自分で商品を並べ,会計が終わったら自分で袋に詰めます。渡仏して最初の頃は仕組みが分からず,レジのスタッフから「自分で出して!」と言われてしましました。また,ある友人はベルトコンベアからレジスタッフが商品を落としてしまったのですが,「あら,落ちたわよ」と言うのみだったそうです。

買い物袋は有料のことがほとんどなので,お客はエコバックを持参します。私も写真のようなエコバックやキャリーを持って行きます。

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以上のように,買い物1つとっても日本との違いを感じます。買い物にはようやく慣れましたが,日常生活の中ではまだまだ戸惑ったり,腹立たしく感じることはよくあります。その原因は,私が言葉をうまく理解できていないということもありますが,日本との比較をしてしまうからかもしれません。「日本ではこうなのに」とか「日本だったらこんなこと簡単に済むのに」とつい思ってしまいます。今はフランスに住んでいるわけなので,その土地にうまく合わせることが必要でしょう。また,「日本での常識が全て正しいわけではない」という考えも持つようになりました。もちろん,フランスでの常識が海外では非常識のこともあるのですが・・・。

2015年12月 3日 (木)

パリでの生活も8ヶ月目に入りました

12月になり寒い日が続いています。先日の早朝,パリの街は朝もやに包まれました。

写真下:朝もやに包まれるノートルダム大聖堂

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街はクリスマスムードが高まってきました。デパートはじめ,いろいろなところにイルミネーションや装飾が施されています。

写真下:近所のデパート入り口のクリスマス装飾

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スーパーや雑貨店にはクリスマスに部屋を飾るオーナメントがたくさん並べられています。近所のスーパーの店先には,ツリー用のもみの木が売られていました。値段は「大」が29.95ユーロ(約3,900円),「小」が19.95ユーロ(約2,600円)でした。

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パリの冬の風物詩のひとつに,街角の「焼き栗売り」があります。ドラム缶で作った簡単なバーベキューマシンで栗を焼き,辺りに香ばしい匂いを漂わしています。私も買って食べましたが美味しかったです。

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11月から各地でクリスマスマーケットが開催されています。たくさんの出店が並び,多くの人で賑わいます。

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私もシャンゼリゼ通りのクリスマスマーケットに行ってみました。数え切れないくらいの出店や移動遊園地などが並び華やか。クリスマスの飾りだけでなく,食べ物の出店も多かったです。

そんな賑わいの中にもテロの影響が。武装したフランス軍兵士がいたるところで警戒を行っていました。

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テロ事件で警戒が厳しいパリですが,加えて,現在パリでひらかれている気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)もそれに拍車をかけています。世界100カ国以上から各国の首脳が集まっているわけですから,街はピリピリです。会議開幕の11月29・30日,混乱を避けるためパリ市内への自家用車の乗り入れが制限されました(そのかわりに,この2日間地下鉄とバスは全て無料になりました)。

私が住むアパートの近くにパリ警視庁がありますが,その前にはたくさんの白バイが並んでいます。各国首脳の車列を警護するための白バイのようです。

写真下:ズラリと並ぶ白バイ

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そのパリ警視庁正面玄関は,現在夜になるとトリコロールにライトアップされています。

写真下:3色にライトアップされる警視庁

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テロ事件発生から2週間経った11月27日,国家追悼式典が行われました。その日,初めて事件現場を歩きました。事件発生以来,黙祷をするなど自分なりに哀悼の意を表してきましたが,現場に行くことにはためらいがありました。それは,どこか自分の中で犠牲者を悼む気持ちよりも野次馬的な興味のようなものが大きい気がしていたからです。
しかし,日が経つにつれ「たった1年間とはいえパリの住民である以上,現場を見ておかなくてはならない」と気持ちが強くなりました。また,ある友人から「現場に行くことがそこに暮らす人の責任であり,権利ではないか」「悲しい出来事だが,歴史の証人として,見て,伝えてほしい」という言葉をもらいました。
事件現場では手を合わせることしかできませんでしたが,今は行ってよかったと思っています。

写真下:現場のひとつとなったカフェ

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写真下:最も多くの犠牲者を出した劇場の前でフランス国旗を持つ男性

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2015年11月21日 (土)

事件のその後と,甲南生へのメッセージ

ここ数日,パリは冷たい雨が続いています。パリの街が泣いているかのようです。

11月13日夜の同時多発テロ発生から1週間が経ちました。18日明け方には,パリ郊外のサン・ドニで容疑者と思われる人物と警察・治安部隊の間で銃撃戦がありました。詳細は日本で報道されていると思います。

事件後,私は2日間は外出せず自宅で過ごしました。窓から見える街は,ランニングをする人がいたり犬の散歩をするマダムがいたりと日常と変わらないように見えました。しかし,数日後パリ中心部のオペラ地区やルーブル美術館あたりに行くと明らかに人が少なく感じました。美術館やエッフェル塔など特に有名な観光地が一時的に閉鎖されたり,海外からの観光客が旅行を取りやめた影響でしょうか。その後,徐々に人出は戻りつつありますが,やはりどことなく街に活気がありません。

私は自宅から徒歩10分ほどのところにあるスーパーへいつも買い物に行きます。事件から3日経ってから買い物に行きましたが,通常営業をしていました。その他,街中のお店は閉まっている様子はほとんどなく,開いています。ただ,入口でのセキュリティチェックは以前よりかなり厳しくなりました。フランスの美術館やデパート,大手スーパー,ブランド店など多くの施設では必ず黒服のガードマンが入口に立っています。これまでは稀に荷物チェックされるくらいでしたが(必ず行う施設もあります),事件以降どの施設でも来客全員の荷物チェックを行うようになりました。

メトロ,バスといった公共交通機関は通常運行をしています。ただ,サン・ドニの現場に近い駅や路線は閉鎖されているという話を聞きました。現在どうなっているかは不明です。

市内をパトロールする警察車両はこれまで以上に多く見られます。主要な駅や観光地では普段からフランス軍の兵士が3人1組で巡回していますが,それも増えたように感じます。

写真下:自動小銃を手に,駅で巡回する兵士(これは6月に撮影した写真です)

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このように,日常生活の中で日本と全く違う場面を目にします。

11月16日正午,フランスはじめ欧州各国で1分間の黙祷が行われました。私も犠牲者のために黙祷を捧げました。

テロ現場となったカフェや劇場などには,多くの市民が訪れ祈りを捧げています。パリ在住の友人(日本人)が事件現場に献花に行き,写真を撮影したとのこと。本人に了解をもらいましたのでここで紹介したいと思います。 

写真下:事件現場に近いレピュブリック広場

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「共和国」の名を冠する広場の中心に,フランスの自由と革命のシンボルであるマリアンヌ像が建っています。その足元には,多くの花束やロウソクが捧げられています。

写真下:事件現場のひとつとなったカフェ

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どこにでもあるような普通のカフェです。そんな日常の場所が悲劇の現場となったことが今でも信じられません。友人も「なぜここが襲撃されたのか不思議だ」と話していました。

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写真下:バタクラン劇場

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今回の事件で最も多くの犠牲者を出した場所です。パリの若者の間ではよく知られた劇場で,有名な歌手のコンサートがよく開催される場所とのこと。過去には日本人歌手もコンサートを行ったそうです。

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写真下:カフェの窓には弾丸の痕が残っています。

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一連の襲撃があった10区,11区という場所は上記したように若者が多く住み劇場もあるので夜遅くでも賑やかな場所。そういう日常生活の場所だからこそこの地区を襲撃場所に選んだのでは,と友人は話していました。ちなみに,今年1月に襲撃を受けた新聞社「シャルリー・エブド」もこの地区です。

今回の出来事にフランス国民は大きなショックを受けています。しかし,先述したように日常は続いています。友人は,日本の高校生に次のことを伝えてほしいと言いました。

「写真を通してでもいいから現場を知ってほしい。パリは確かに今はまだ落ち着いてはいない。でもフランス人は暴力に対して屈せず日常を送っている。これがフランス人の精神。あまりパリが危険だと日本国内で騒がれると,パリに住んでる日本人が悲しくなる」

この地に住む日本人からのとても重い言葉だと思います。

今回の事件の背景には様々な要因があり,ひとつの側面から理解,判断することはとても困難です。しかし確実に言えるのはどこの国・地域においても暴力の負の連鎖がこれ以上広がらないでほしいということではないでしょうか。

2015年11月14日 (土)

大変悲しい出来事

こんにちは,上原です。

今パリは11月14日(土)の午前6時30分です。

日本でもニュースで大きく報道されているように,昨夜テロとみられる大規模な事件が起きました。未確認の情報もあり情報が錯綜しているようです。私は自宅にいたので無事です。

こういう時こそ慌てず落ち着いて行動する事が大事だと思います。当面は外出を控えたいと思います。

美しいパリの街で今回のような事件が起こるのは本当に悲しいことです。

写真下:パリ,14日午前0時37分。自宅の窓より

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2015年11月 8日 (日)

グレー・シュル・ロワン滞在記

Bonjour!

 長くパリだよりを更新せずにすみませんでした。前回の更新は,まだ夏の名残りがある9月でしたが今はすっかり秋。長く厳しい冬は目の前です。パリの街中には早くもクリスマスの雰囲気を感じられます。

 以前パリだよりで書いたグレー・シュル・ロワンに行ってきました。10月17日〜23日の1週間滞在,グレーの風景を描いてきました。

写真下:秋風吹く中,イーゼルを立てて描く

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グレーは,鹿児島出身の画家・黒田清輝が滞在して多くの油絵を描いた小さな町です。黒田が滞在した19世紀,彼以外にもアメリカ,イギリス,スウェーデンなど各国の画家がグレーの美しい風景を描くために滞在しました。当時とほとんど変わらない風景を描けるのはとても嬉しく幸せなことです。

写真下:秋の静寂の中で筆を動かす

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写真下:透明水彩こそ,秋のグレーを最も表現しやすい画材

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写真下:多くの画家が描いた古い石橋を背景に,白鳥と

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 滞在した1週間はあまり天候がすぐれませんでしたが,それでも大雨にはならず屋外で制作することができました。風に吹かれて落ちていく木の葉や重い曇り空は憂鬱な気分にさせましたが,これこそフランスらしさなのかなとも思いました。

滞在中は町にある「オテル・シュヴィヨン」というスウェーデンに本部のある財団の宿泊施設にお世話になりました。

写真下:オテル・シュヴィヨンの中庭

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写真下:オテル・シュヴィヨンのベルナデットさん(右)とシェスティーナさん

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このお二人は滞在に不便がないよう,いろいろと気遣ってくださいました。

写真下:町で唯一のレストランのオーナー・エールネストさんと

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昼食は毎日彼のレストランで食べました。彼と彼の奥様が作る料理は最高でした。

紹介した以外にも多くの方にお世話になりました。今回の素晴らしい経験や出会いも元をたどれば黒田清輝が導いてくれたのではないでしょうか。

最後に。滞在中,地元の情報誌の記者から取材を受けました。遠い日本から黒田清輝の縁で訪ねてきた私を紹介してくださいました。

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写真下:記者の方と

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取材の中でも話したのですが,グレー・シュル・ロワンと鹿児島の縁がいつまでも続いてほしいと思います。甲南の生徒の皆さんにもいつかこの町を訪ねて,自然の美しさと地元の方の優しい人柄に触れてほしいです。

À bientôt!(また近いうちに!)

2015年9月21日 (月)

欧州便り「『ゴッホの家』に息のむ」

9月16日付の南日本新聞朝刊に2回目の「欧州便り」を寄稿させていただきました。今回は皆さんもよくご存知のゴッホについて書きました。ゴッホは以前から好きな画家の一人でしたが,じっくり作品を観たりゆかりの地を歩くことで,理解が深まりますます好きになりました。

生前ゴッホは弟テオと亡くなる直前まで手紙のやりとりをしていて,手紙を日本語に翻訳した本が出版されています。

「ゴッホの手紙」(上)(中)(下) 岩波文庫

私は高校時代にこの本を読みゴッホに対するイメージが大きく変わりました。ぜひ甲南高校の生徒の皆さんにも読んでもらいたいです。

新聞記事では文章と合わせて2つの画像が掲載されています。1枚は私が描いた水彩画で,ゴッホが眠る墓地近くにある小さな教会を描いたものです。この教会はゴッホも描いていて,その絵は現在パリのオルセー美術館に収められています。

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もう1枚の画像は,「ゴッホの家」オーナーのジャンセンさんとの写真です。大変気さくな方でした。

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 オランダ出身の画家ゴッホは,1890年7月29日,フランスの田舎町オーベール・シュル・オワーズでその生涯を閉じた。彼は亡くなる約70日前,この町に住むガシェ医師を頼って南仏のサン・レミから来たのだった。
 6月のある日曜日,私はこの町を訪ねた。強い風が吹き夏の太陽が照りつける暑い日だった。ゴッホが描いた教会や弟テオと共に眠る墓地などゆかりの場所を歩いた後,広い麦畑に出た。
 照りつける太陽を浴びて麦は黄金色に輝いていた。青い空と黄金色の麦。実に美しい風景だが,私のまわりは不思議と静寂に包まれ,どことなく落ち着かない不安な気持ちにさせられた。遠くではカラスが群れをなして飛んでいる。この景色はまさに,ゴッホが描いた「カラスの群れ飛ぶ麦畑」そのものだ。彼もこの場所で同じ景色を眺めたに違いない。
 ゴッホは町役場の正面にある宿屋ラブー亭の3階に部屋を借り,最後の日々を過ごした。現在そこは「ゴッホの家」として一般に公開されており,ゴッホが息を引き取った部屋も見学することができた。
 私は古びた階段を静かに上り,その部屋に足を踏み入れた。その瞬間,緊張が走り息をのんだ。ほぼ当時のまま保存された部屋は,ついさっきまでゴッホがいたかのようだった。飾り気のない質素な部屋で,壁にはゴッホがキャンバス布を止めるために空けた穴が残っていた。
 この日,「ゴッホの家」のオーナーであるジャンセン氏とお会いすることができた。約30年前に彼はラブー亭を購入し,後世に残すべき文化財として修復した。ジャンセン氏の屈託のない笑顔と力強い握手から,彼の人柄とゴッホに対する情熱が伝わってきた。
 彼は私に出会いの証しとして,ゴッホの画集やポストカード,「ゴッホの家」について書かれた小冊子をくださった。その小冊子にジャンセン氏はこう記してくれた。「ムッシュナオヤ,今日は来てくれてありがとう。良き思い出に」。一期一会とはまさにこのことであろう。
 ゴッホは37歳で亡くなった。今の私と同じ年齢だ。(ルネサンスの巨匠ラファエロ,断頭台の露と消えたマリー・アントワネットもまた,37歳でこの世を去った)。歴史に名を刻む巨星と私の画家人生など比べるまでもないのだが,ゴッホの生きざまを思うと「私も死ぬまで絵を描き続けなければならない」と決意を抱かずにはいられなかった。
(第69回南日本美術展第20回吉井賞受賞者)

2015年9月16日 (水)

南日本新聞に上原先生の記事

パリに留学中の上原先生の「欧州便り」の2回目が「『ゴッホの家』に息をのむ」という見出しで,今朝の南日本新聞13面に掲載されています。(今回も当ブログにも,このあと新聞記事についてアップしていただくことになっています。上原先生よろしく!)

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