長沢鼎誕生地
学校の正門横の信号を渡り,共研幼稚園の横,甲南福祉館の玄関のそばに,長沢鼎の誕生地の碑があります。(写真) 碑の正面右側面に「昭和九年十月建立」とあります。
鹿児島市の案内板にはこう書かれています。
長沢鼎(ながさわかなえ)は,1852(嘉永5)年,高麗町(甲南高校正門前)に生まれました。本名は磯永彦輔(いそながひこすけ)といい,わずか13歳で薩摩藩英国留学生の一員に選ばれ,スコットランドのアバディーンの学校で勉強しました。
その後,1867(慶応3)年アメリカに渡り,カリフォルニア州サンタローザでぶどう栽培に取り組み,農園の経営に成功して“ぶどう王”といわれるまでになりました。鼎はアメリカに永住し,1934(昭和9)年82歳でなくなりました。
長沢鼎は中央駅の「若き薩摩の群像」の中にも描かれています。電車通り側下段正面右側のひじかけにぶどうが置いてあるいすに座った一番小さな少年の像が長沢鼎です。