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2014年9月26日 (金)

三方限出身名士顕彰碑(2)

三方限出身名士顕彰碑の2回目として,碑の敷地内に設置されている鹿児島市の案内板に書かれている内容を紹介します。

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偉人たちの育った町-甲突川をはさんで競いあった英才教育-
 鹿児島の城下では,城下士の居住地をいくつかの地域にわけて,それぞれを方限(ほうぎり)といいました。方限は郷ともいい,郷ごとにつくられた青少年の教育機関を郷の相中(あいじゅう),略して郷中(ごじゅう)と呼ぶようになったのです。したがって郷中方限といえば,現在の学区[注]にあたります。
 薩摩藩は郷中での子弟教育に独特のしくみを取り入れ,子供たちを幼少の頃から厳しくしつけました。「十八交りを結ぶ健児の舎」という頼山陽(らいさんよう)の詩は,当時18あった郷中の姿を伝えています。その中で,高麗(こうらい),上之園(うえのその),上荒田(うえあらた)の三方限(さんほうぎり)は加治屋町方限と並んで,幕末から明治にかけての偉人を数多く育てたことで知られています。
 昭和10年,これらの偉人たちの業績を顕彰するため顕彰碑が建てられました。碑文は文豪徳富蘇峰(とくとみそほう)が書いたものです。
 以下 三方限出身名士一覧(48人)略

[注]:現在では「学区」というと高校の広い学区のイメージですので,ここでは小中学校の「校区」といった方が近いのではと思います。

 この48人の中には,西郷,大久保をはじめ著名な人物もいますが,知られていない人も多いようです。それぞれどんなことをした人なのか,とりあえずネットで調べると,まとめたものが載っているサイトがありましたので(正しいかどうかわかりませんが)以下に転載しておきます。このサイトには毎年8月に地域で行われる慰霊祭の様子も出ています。あらためて時間を見つけてこの48人を調べてみたいものです。

三方限出身名士48人の紹介 sanpouguri_48meisi.pdfをダウンロード

三方限出身名士顕彰碑については,もう1回,最後に徳富蘇峰が書いた石碑の碑文を紹介したいと思います。

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