03-8 上原先生パリだより Feed

2015年9月21日 (月)

欧州便り「『ゴッホの家』に息のむ」

9月16日付の南日本新聞朝刊に2回目の「欧州便り」を寄稿させていただきました。今回は皆さんもよくご存知のゴッホについて書きました。ゴッホは以前から好きな画家の一人でしたが,じっくり作品を観たりゆかりの地を歩くことで,理解が深まりますます好きになりました。

生前ゴッホは弟テオと亡くなる直前まで手紙のやりとりをしていて,手紙を日本語に翻訳した本が出版されています。

「ゴッホの手紙」(上)(中)(下) 岩波文庫

私は高校時代にこの本を読みゴッホに対するイメージが大きく変わりました。ぜひ甲南高校の生徒の皆さんにも読んでもらいたいです。

新聞記事では文章と合わせて2つの画像が掲載されています。1枚は私が描いた水彩画で,ゴッホが眠る墓地近くにある小さな教会を描いたものです。この教会はゴッホも描いていて,その絵は現在パリのオルセー美術館に収められています。

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もう1枚の画像は,「ゴッホの家」オーナーのジャンセンさんとの写真です。大変気さくな方でした。

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 オランダ出身の画家ゴッホは,1890年7月29日,フランスの田舎町オーベール・シュル・オワーズでその生涯を閉じた。彼は亡くなる約70日前,この町に住むガシェ医師を頼って南仏のサン・レミから来たのだった。
 6月のある日曜日,私はこの町を訪ねた。強い風が吹き夏の太陽が照りつける暑い日だった。ゴッホが描いた教会や弟テオと共に眠る墓地などゆかりの場所を歩いた後,広い麦畑に出た。
 照りつける太陽を浴びて麦は黄金色に輝いていた。青い空と黄金色の麦。実に美しい風景だが,私のまわりは不思議と静寂に包まれ,どことなく落ち着かない不安な気持ちにさせられた。遠くではカラスが群れをなして飛んでいる。この景色はまさに,ゴッホが描いた「カラスの群れ飛ぶ麦畑」そのものだ。彼もこの場所で同じ景色を眺めたに違いない。
 ゴッホは町役場の正面にある宿屋ラブー亭の3階に部屋を借り,最後の日々を過ごした。現在そこは「ゴッホの家」として一般に公開されており,ゴッホが息を引き取った部屋も見学することができた。
 私は古びた階段を静かに上り,その部屋に足を踏み入れた。その瞬間,緊張が走り息をのんだ。ほぼ当時のまま保存された部屋は,ついさっきまでゴッホがいたかのようだった。飾り気のない質素な部屋で,壁にはゴッホがキャンバス布を止めるために空けた穴が残っていた。
 この日,「ゴッホの家」のオーナーであるジャンセン氏とお会いすることができた。約30年前に彼はラブー亭を購入し,後世に残すべき文化財として修復した。ジャンセン氏の屈託のない笑顔と力強い握手から,彼の人柄とゴッホに対する情熱が伝わってきた。
 彼は私に出会いの証しとして,ゴッホの画集やポストカード,「ゴッホの家」について書かれた小冊子をくださった。その小冊子にジャンセン氏はこう記してくれた。「ムッシュナオヤ,今日は来てくれてありがとう。良き思い出に」。一期一会とはまさにこのことであろう。
 ゴッホは37歳で亡くなった。今の私と同じ年齢だ。(ルネサンスの巨匠ラファエロ,断頭台の露と消えたマリー・アントワネットもまた,37歳でこの世を去った)。歴史に名を刻む巨星と私の画家人生など比べるまでもないのだが,ゴッホの生きざまを思うと「私も死ぬまで絵を描き続けなければならない」と決意を抱かずにはいられなかった。
(第69回南日本美術展第20回吉井賞受賞者)

2015年9月16日 (水)

南日本新聞に上原先生の記事

パリに留学中の上原先生の「欧州便り」の2回目が「『ゴッホの家』に息をのむ」という見出しで,今朝の南日本新聞13面に掲載されています。(今回も当ブログにも,このあと新聞記事についてアップしていただくことになっています。上原先生よろしく!)

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2015年8月31日 (月)

バカンスシーズン

Bonjour!

 7〜8月,ヨーロッパはバカンスシーズンです。多くの人が長い休みを利用して旅行を楽しみます。移動には車や飛行機,列車はもちろん,バス,バイク,自転車などありとあらゆる手段を使います。ヒッチハイクという人も結構います。

写真下:あちらこちらで見かけるバックパッカー

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 中でも目についたのがキャンピングカー。日本でもキャンピングカーで旅行をする人はいますが,ヨーロッパは日本よりもかなり多いと思います。宿泊費や交通費が安く済むということもありますが,キャンピングカーなら陸続きの広いヨーロッパを自分のペースでまわることができます。

写真下:専用駐車場にズラッと並んだキャンピングカー

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写真下:どの車にも家族分の自転車が載せられています

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 バカンスシーズンのパリで毎年恒例になっているのが「パリ・プラージュ(Paris-Plages:パリ・ビーチ)」です。文字通り,市庁舎前広場やセーヌ川沿いの幹線道路数百メートルが人口ビーチになります。多くの人がビーチバレーを楽しんだり肌を焼いたりします。

写真下:パリ市庁舎前でビーチバレーを楽しむ人々

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写真下:セーヌ川沿いに並んだパラソル

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 そんなバカンスシーズンも去りゆく夏と共に終了。9月からフランスは新年度で,子供達は新学期の準備に追われています。先日,近くのデパートを覗くと文房具コーナーにはノートがうず高く積まれていました。フロアには買い物に来た親子がたくさんいて,学校から配られたリストを見ながら文房具を品定めしていました。

写真下:ノートの山,山

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写真下:リストを見ながら,お父さんと一緒に買い物をする女の子

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 甲南高校は2学期が始まり,体育祭・文化祭に向けて忙しい毎日のことと思います。大変とは思いますが,お互いに協力して成功させてください。応援しています!

 À bientôt!(また近いうちに!)

2015年8月24日 (月)

グレー・シュル・ロワンと黒田清輝

Bonjour!

  生徒の皆さんは「黒田清輝(くろだせいき)」という画家を知っていますか。鹿児島出身で明治時代に活躍,日本の美術界に大きな足跡を残した画家です。

 法律の勉強のため黒田は18才でフランスに渡りますが,のちに画家を志すようになります。その黒田が留学中の一時期滞在したのがグレー・シュル・ロワン(Grez-sur-Loing)という小さな町です。パリから南東約60キロに位置するこの町で彼は素晴らしい油絵を多く描いています。

写真下:町を流れる川。夏は水遊びの観光客で賑わいます

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 このような縁から,鹿児島からの美術留学生が毎年訪れ制作をしています。先日,私も滞在の下見でグレーを訪ねました。豊かな自然に囲まれた人口1300人の町は静かで美しいところでした。この日,滞在中お世話になるジャンさん・マリアさんのご夫婦とお会いしました。心優しい親切なご夫婦でした。

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 グレーに15年前,黒田が滞在していたことを記念して「黒田清輝通り(Rue KURODA Seiki)」ができました。フランスにおいて日本人の名前が通り名になるなんてまずないこと。とても小さな道ですが趣のある通りでした。

写真下:昼下がりの「黒田清輝通り」

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 通り沿いの壁には名を記した看板と命名記念の石板が掲げられています。石板はこの地で採れた石に地元の職人が文字を刻んだもの。「黒田清輝」の元になった字は,鹿児島県知事であった故・須賀龍郎氏が書かれたものです。

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 「黒田清輝通り」誕生に尽力された方がいらっしゃいます。モアンヌ前田恵美子さんとピエールさんのご夫婦です。恵美子さんは40年以上パリに暮らしていらっしゃる女性で甲南高校の卒業生。皆さんの大先輩です。4月の渡仏以来,私はこのご夫婦に大変お世話になっています。

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 秋が深まる10月に約10日間滞在してグレーの美しい風景を描く予定です。今から楽しみです。

 À bientôt!(また近いうちに!)

2015年8月 8日 (土)

パリ祭

Bonjour!

 私のパリでの生活は8月6日で100日を迎えました。早いものです。  

 先月,7月14日はフランス共和国の成立を祝う日 (Fête nationale)でした。フランス革命の発端となったバスティーユ監獄襲撃の一周年記念として行われた建国記念日が起源となっているそうです。日本では「パリ祭」の名称で知られている日で,フランス全土が1日お祝いムードになります。

 この日のパリは,午前中シャンゼリゼ通りで軍事パレード,夜はエッフェル塔周辺でコンサートや花火の打ち上げと盛大です。もちろんパレードを観に行ってきました。

写真下:シャンゼリゼ通り沿いは,ひと・人・ヒト

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写真下:陸軍のミサイル車はかなりの迫力

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写真下:花火に包まれるエッフェル塔

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パリの街がより一層華やかに見えた1日でした。

写真下:1790年7月14日の革命一周年記念式典の様子を描いた絵画(パリ・カルナヴァレ博物館所蔵)

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写真下:画面右端には,国民軍のラファイエット司令官や,3年後に断頭台の露と消えるルイ16世,マリー・アントワネットが描かれています

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写真下:1878年の祭の様子が描かれたモネの油絵(オルセー美術館所蔵)

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今回のパリ祭や博物館の貴重な展示など,この1年はフランスの歴史を直に学べるチャンスなので色々と吸収したいと思います。

À bientôt!(また近いうちに!)

2015年7月25日 (土)

ルーブル美術館 カルコグラフィー工房

Bonjour!

 先日,ルーブル美術館の「カルコグラフィー工房(chalcographie:銅版画)」を見学させていただきました。昔,この工房に在籍されていた私の大学時代の恩師が久しぶりにここを訪ねるということでご一緒させてもらったのです。

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 この工房は1797年の設立以来,歴史的貴重な版画の原版管理や技術の伝承を行っています。また,ヴァン・ダイクやマネといった美術史上の画家から現代作家まで,多様な版画作品もプリントしています(これらはルーブル美術館のミュージアムショップで購入することができます)。

写真下:一定の温度湿度の下,厳重に管理されている原版

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工房スタッフの丁寧な作業を見ることができました。

写真下:素手で余分なインクを拭き取っています

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写真下:プレス機に原版と紙を慎重にセッティング

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写真下:きれいに刷り上がった版画

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 この日,カルコグラフィー工房に隣接する「ムーラージュ工房(moulage:型抜き成型)も見学させてもらいました。こちらも1794年設立という伝統ある工房。ルーブル美術館の彫刻コレクションの鋳型はじめ、フランス国内外の彫刻の鋳型を数多く所有。広い工房内には「ミロのヴィーナス」やミケランジェロの「モーゼ像」「ハムラビ法典の石棒」などなど5000点にのぼる鋳型が所狭しと並んでおり,圧巻の一言でした。

 通常入れない工房を見学できたのは貴重な経験でした。

 

 伝統的なものを継承していくことは,手間や時間,お金がかかることです。今回見学した工房も大変だと思いますが,後世にしっかり引き継がれてほしいですね。

À bientôt!(また近いうちに!)

2015年7月11日 (土)

正式滞在許可

 Bonjour!

 先週,パリは気温が40度まで上がりました。さすがに参りました。夜も寝苦しかったです。今週の気温は落ち着きましたが,今度は午前中の気温が20度に達しない日があったりとあまりの気まぐれに辟易するばかりです。

 さて,私のフランスにおける1年間の滞在許可が正式におりました。渡仏前の今年2月に東京のフランス大使館でVISAを発給してもらったのですが(甲南だより第189号でもお伝えしました),これだけでは不十分でフランス入国後3ヶ月以内にOFII(フランス移民局)に行き滞在許可申請を行わないと不法滞在になってしまうのです。

 6月中旬に通知が届き,パスポートやアパートの契約書,241ユーロの印紙(約33,000円!)等を持って指定された7月8日午前8時半にOFIIへ。私と同じように滞在許可をもらうために集まった様々な国籍の人と一緒に並びました。

写真下:OFIIを示す看板

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 私が指定されたのはバスティーユ地区のOFIIでした。

 OFIIで行う手続きは健康診断が主です。身長の測定(靴を履いたまま!),体重の測定(これも靴を履いたまま!),血圧測定,視力検査,お医者さんの問診,そして最後にレントゲン撮影。その後,晴れて正式滞在許可がおりたのでした。

写真下:パスポートに貼られた許可証とスタンプ

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 と,以上のように簡単に書きましたが,内心不安だらけでした。建物の前,そして受付後も長時間待たされましたし,ちゃんと許可が出るのだろうかと緊張もしました。フランス語や早口の英語での説明はちんぷんかんぷん。外国に長期滞在するということは大変だと改めて感じました。

 私の場合は,1年間のみの滞在(労働は不許可)のタイプなのでそこまで複雑ではなかったのかもしれません。就労ビザや数年に渡る滞在を希望する場合はもっと大変だと思います。ふと,昨年度1年生が外国人労働者をテーマにディベートを行ったことを思い出しました。

写真下:サン・マルタン運河にわざと落ちるフランス人

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 気持ちはわかりますが,暑いとはいえそれは・・・

 1学期ももう少しですね。体育祭や文化祭の準備も始まっていることと思います。生徒の皆さん,熱中症にくれぐれも気をつけてがんばってください!

À bientôt!(また近いうちに!)

2015年7月 1日 (水)

欧州便り 「懐の深いセーヌ川」

本日付の南日本新聞朝刊に「欧州便り」を寄稿させていただきました。来年の3月まで,今回を含め計4回掲載予定です。

文章と合わせて2つの画像が掲載されています。1枚は私が描いたパステル画で,セーヌ川にかかるトゥールネル橋の上で描いた夕方のパリの風景です。

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もう1枚は,セーヌ川のほとりに集う人々を撮影した写真です。夕方になると,セーヌ川はじめ公園の池やサン・マルタン運河といったパリ市内の水辺にたくさんの人々が集まって思い思いの時間を過ごしています。

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フランスへの留学が決まり,パリにアパートを探す中で2,3件の候補が挙がった。現在住んでいるサン・ルイ島のアパートに決めたのは,ルーブル美術館やポンピドゥーセンターに近いということもあったが,セーヌ川沿いにあるという理由からだった。「川のほとりに住む」ということは,私にとって昔からのあこがれだった。

 川のほとりに住みたいと思ったきっかけは特にないのだが,昔から川を眺めそのほとりを歩くのが好きだった。川の流れはどこかつかみどころがなく,それでいて見飽きることがない。そんなところが気に入っている。

 セーヌ川は,パリの真ん中を東から西へ貫いている。パリは,セーヌ川の中州「シテ島」と「サン・ルイ島」を中心に発展してきた。ノートルダム大聖堂やパリ警視庁,市立病院といった重要な施設があるのも納得できる。このふたつの島は観光地として人気のスポットでもある。

 また,セーヌ川は交通の要所としての性格もあって,1日に何隻もの船が行き交う。その多くは観光用の遊覧船だが,それ以外にも警察のモーターボート,資材やゴミの運搬船といった具合に多彩だ。  

 私は夕方によくセーヌ川を歩く。夕方といっても今の時期は午後9時を過ぎても日中のように明るい。スケッチブックを抱えながらの日もあれば,あてもなくとぼとぼ歩くこともある。水面に映る傾いた日の光が,何ともいえない輝きと哀愁を醸し出す。こういう時は決まって日本に残してきた家族のことを考える。

 私と同じようにセーヌ川には多くの人が集う。その顔は皆,夕日に赤く染まっている。若い恋人たち,釣り糸を垂らす人,何を話しているのか携帯電話片手に泣いている女の子。私もその中にまぎれたたずむ。いまだに自分が本当にパリに住んでいるのか分からない,ふわふわした感覚を覚えるのだった。

 私の思い出の地にはいつも川があった。故郷・市来の大里川は,小学校の帰りに友達といつも寄り道をした遊び場だった。大学時代を過ごした金沢の犀川は,古都に抱かれながら白山連峰の雪解け水をたたえる川だった。そして,フランス激動の歴史を見つめてきたセーヌ川は,パリジャンやパリジェンヌ,旅人,さすらいの民も全てを受け入れる懐の広い川に感じられる。

 セーヌ川は,果たして私のことも受け入れてくれるだろうか。その答えが留学の期限となる来年3月までに出てくれたらいいのだが。

    (第69回南日本美術展第20回吉井賞受賞者)

南日本新聞に上原先生の記事

パリに留学中の上原先生の「欧州便り」が「懐の深いセーヌ川」という見出しで,今朝の南日本新聞13面に掲載されています。(当ブログにも,このあと新聞記事の原稿をアップしていただくことになっています。上原先生よろしく!)

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2015年6月18日 (木)

フランスにおける「人生を左右する一大イベント」

Bonjour!

 2年生は楽しい修学旅行真っ最中ですね。3年生は受験に向けて猛勉強中のことと思います。

 職業柄,「フランスの高校生はどのような学校生活を送っているのだろう?」と気になります。それでちょっと調べてみたところ,昨日6月17日(水)から『バカロレア』が始まったとのこと。

 『バカロレア(baccalauréat)』は高校修了及び大学入学の資格を得るための試験。日本における大学入試センター試験のようなものです。聞いたことのある人もいるのではないでしょうか。フランスのほとんどの高校生が受ける試験で,この成績次第で行ける大学が決まってくるそうです。

 歴史は古く,なんとあのナポレオン・ボナパルトが制定した試験。バカロレアは受験科目がとても多く,解答は論述と記述。試験時間が長く,哲学は4時間もあるのだとか。

 普段は陽気でおしゃべり好きなフランス人も,さすがに試験期間中は憂鬱になったり静かになったりするのでしょうか。試験は24日まで実施されます。 

 鹿児島は雨続きでのようですね。警報も出ているようで心配です。皆さん,くれぐれもお気をつけください。

À bientôt!(また近いうちに!)

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